紀 貫之(きのつらゆき)(868〜964)
平安後期の歌人。古今和歌集を編纂(へんさん)、土佐日記を著(あらわ)す。
惜しめども とまりもあえずゆく春を なこその山のせきもとめなむ |
小野小町(おのの こまち)(生没年不詳)
平安中期の女流歌人。勿来を詠(よ)んだのは小野小町が初めてである。
みるめ刈る あまのゆききの
湊路(みなとじ)に
なこその関も わが据えなくに |
和泉式部(いずみしきぶ)(生没年不詳)
平安中期の女流歌人。生涯貴族たちとの恋愛に情熱的な歌が多い。
なこそとは
誰かはいひね しはねども
心に据うる 関とこそみれ |
源 義家(みなもとのよしいえ)(1039〜1106)
軍人・八幡太郎と呼ばれ、文武両道に秀(ひい)でた平安時代の源氏の棟梁
吹く風をなこその関と思えども
道もせに散る 山桜かな |
源 師賢(みなもとのもろかた)永保元年(1081)没
和琴謡曲に秀(ひい)でる。
東路は 名古曽の関もあるものを いかでか春の越えて来つらむ |
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斎藤茂吉(さいとうもきち)(1882〜1953)
山形の人、医学博士、アララギ派の中心的歌人。
みちのく能
勿来へ入らむ
山かひに
梅干ふく
あれと阿がつま
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※上記の和歌(短歌)は、勿来の関の「詩歌の小径」に歌碑があります。 関にお立ち寄りの際はぜひご覧になってください。。。 |