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菊田の?勿来の関
 奈良時代の養老2年(718年)蝦夷(えぞ)の南下を防ぐ目的で菊田の(せき/軍事上のとりで)が作られました。同じ頃、白河と念珠(ねず/山形県)にも作られました。これが奥州古三です。
勿来の関 義家像前菊田のは平安時代の弘化2年(811年)廃止になりました。それは朝廷の勢力圏がはるか北方に広がったため必要がなくなったのと、都との正式通路が京都−石岡(常陸の国府)−白河−多賀城(陸奥の国府)に一本化されたことによるようです。
 その後は菊田のは名のみのになりました。

 平安時代は和歌が盛んな時代です。勿来の関が歌枕として、たびたび和歌に詠まれるようになりました。
 「なこそ」ということばは、当時の語法によると、「来ないで欲しい」「来ないでおくれ」という意味です。
 そうすると、奥州古三はいずれも勿来の関です。それがいつの頃からか菊田のだけが勿来の関になってしまいました。
平成19年3月完成予定の平安時代を偲ぶ寝殿造りの体験学習施設 これは、小野小町の和歌「海布女かる海女の往来の湊路に勿来の関をわれ据ゑなくに」が大いに影響しているようです。
 そして、源義家の和歌によって天下の名所になったといえましょう。
関跡には、勿来の関文学歴史館や多数の文学碑があって、昔を偲ぶことができます。




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